横綱が猫騙しを使うことについての考察 相撲は精神性が大事?
大相撲11月場所10日目に、横綱の白鵬が関脇栃煌山に対して猫騙しを2度行って勝利した件がちょっとした話題になっているようです。
私は知りませんでしたけど、白鵬が猫騙しを使ったことが話題になっているようです。
横綱が猫騙しという、奇策を使ったことによって、賛否両論。私は賛成の立場なんですよ。
横綱が猫騙しを使うのはダメなこと?
日本だと横綱が奇策を使うのは基本禁止されています。風格・戦法など、横綱は強さと同じぐらい、人間性を求められますから。奇策は、格下の力がない力士がする戦術という認識なんですよ。勝つためには、横綱だろうが、猫騙しはOKです。横綱は誰よりも勝利が要求されますし、勝ち方は問題はないと思います。
しかし、これは30代ぐらいまでの考え方かなあと。もっと上の世代は、若乃花貴乃花という相撲の一つの象徴の時代を見てきているんで、横綱=強く正攻法で勝つ力士というのが、頭の中に残っているからです。若い人は、朝青龍全盛の時代を見てきているんで、横綱だろうと勝てばよかろう!ってな認識になっているはず。
横綱が猫騙しを使ったとしても、それで勝てれば問題ないですし、横やりを入れるべきではないと思うんですよね。この考え方自体が、若年層とそれ以外で大きく違うと思うので、長い事尾を引きそう。
「押さば押せ、引かば押せ」
まあ相撲の極意(とされているもの)に、「押さば押せ、引かば押せ」なんて言葉があるくらいなので、それが本当に極意かどうかはともかく、「かくあるべき理想の相撲」みたいなものの精神性がだいたいどのようなものだと考えられているのかということはなんとなくわかります。
はっきり言うと、日本では、横綱とは、人間性が高く、理想的な相撲をとる力士のことを指します。勝利は前提条件であり、その上で高い精神性を持つというのが横綱のこと。
日本だと、お金よりも人間性というように、勝利至上主義ではなくて、精神的な鍛錬がものを言います。横綱や以外の力士ならいくらでも奇策をしてもいいですけど、横綱だけはダメ!というのが、相撲関係者の言動からから伝わってきます。
理想を追求するのが横綱であって、そこに現実的な戦術を取り入れるのは、横綱ではないという論理な気がしますが、ほとんどが感情論なんですよ。ピカピカの横綱の理想像だけを追って、いきなり猫騙しという汚れみたいなものが発生したために、みんな揃って白鵬を叩いています。本当にこのままでいいのでしょうかね?
白鵬も限界?
今回、白鵬が猫騙しを使ったのは、限界が近いからでしょう。怪我で休んだこともありましたし、朝青龍が引退した後は、ずっと横綱を守っています。体も満身創痍で、ボロボロの中の、一つの戦術。私は横綱を守るという意味で、今回の戦い方は良いと思います。
ただ、日本の特に相撲好きはそうではないはず。相撲好きな友達が過去に言っていたのが、
「勝てなくなったら引退すればいい」
割と冷酷なようで、本質をついています。横綱の前提条件が「正攻法の勝利」ならば、それが出来なくなったら引退する。日本人の美学に通じる所がありますけど、負けて晩節を汚すなら、潔く去れ、というニュアンスが含まれていて、これが相撲にも応用されているんですね。
結局、勝てなくなったらさっさと引退して、現役を譲れということになるんでしょう。スポーツは引退の仕方が難しいですが、相撲では、横綱だけは、勝てなくなったら引退というシンプルな構造になっています。
白鵬は猫騙しを使ったのは、その相撲界のしがらみを破壊したかったのかもしれませんね。