人生のおつまみ

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最近の読書について思う事 読書って楽しいものじゃないの?

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最近読書について思う事がいくつかある。

読書って楽しくするべきなのに、

「読書とはこうあるべきもの」というイメージがついてきた。

私一人の意見であるけど、読書とはそんな堅苦しいものではない。

 

そもそも、読書は日本人はかなり恵まれている。

日本の識字率は9割を超えているし、これは海外を含めても断トツの数字。

文字を読める、理解できるという意味で日本はトップクラスに豊か。

だからこそ読書が変な宗教みたいになってしまっていて、私は悲しくなる。

 

読書が好きな知り合いがいたが、漫画や小説を毛嫌いする人だった。

哲学書、物理書などが一番であり、古典文学なら許容できるような人。

その人がいう読書は何か堅苦しくて、すごく変なイメージを持った。

 

私は自分に危害がなければ、どんな考えでも許容していたので、

別になんとも思わない。しかし、その空気が最近本屋などでも

徐々に出てきているように思う。

 

小説が好きで500冊は読んだ気がする。

東野圭吾からミステリに入り、そこから色んな小説を読んだ。

有名どころやマイナーも読んで、図書館にも行った。

図書館はマイナーな本があることもあるので少しはオススメ。

 

少し話は脱線するが、最近は図書館での勉強は禁止らしい。

意味がわからない。本は学びに直結するものであり。

図書館はそれを否定するのか。それとも勉強する人は

うるさいという先入観が原因なのか?

 

受験生が可哀想。特に経済的に苦しい人にとっては図書館での

勉強は最高の環境。学歴は人生を逆転できる手段の1つだけに、

図書館の自主学習排除の流れは嫌だ。

それなら自習スペースを使わせてあげたら良いと思う。

自習スペースビジネスが活発だからこそ、無料のスペースの存在意義は大きい。

 

話を戻すが、小説は面白い。

ストーリーは荒唐無稽なものもあるが、人の多面性を見る事ができ、

作者の経験も踏まえた展開は素晴らしい。その意味で、小説は人生の勉強になる。

 

しかし、なぜ小説はダメなのか。ちょっと理解に苦しむ。

読書=専門書orビジネス書という変な先入観。

ビジネス書も悪くはないが、頭を使わなくても読める本が大量にある。

数学or物理or文学or歴史を大学生レベルでマスターしないと読めない本は

ほとんどない。あるといっても、翻訳の海外のビジネス書ぐらい。

 

小説は色んなストーリーがあって、幅広い展開がある。

それを無視して、先入観でバカにするのはどうしたものか。

読書の範疇に入るのは小説ではないという。

じゃあ、私が研究で専門書を数多く読んできたことは読書にあたるのか。

 

結局、みんなプライド+カッコ付けなんだと思う。

俺カッコいい!私カッコいい!を貫きたいだけなんだと。

私は小説が好きだし、物理系の専門書も好き。

でも、後者だけが読書なら、「読書」って一体なんだろう?

学者だけが読書を許されるのか?難しい本を読む事が読書なのか?

 

自分が何を読んで、何を学び、何を楽しんだのかを突き詰めるのが読書なはず。

究極は読書で頭が良くなる必要はない。読書はストレス発散だから。

読書は娯楽、そういうポジションで捉えたらいいのになあと。

もちろん、学者になりたい、仕事で成功したいなら話は別だけど、

そうでもないのに、娯楽を馬鹿にするのはどうかと思う。

 

読書って難しいけど、実際はシンプル。

楽しんだものが勝つ。みんな好きな自己啓発本でも言っていること。

そう言えば、自己啓発本を読む事も読書らしいけど、

これはどうなんだろうか?

境界が曖昧すぎて意味不明になってきた。

 

追伸

私は小説が大好きなので、ちょっと気合を入れて書いてみた。

小説が好きで、専門書も好きで、ビジネス書も好きです。

確かに、知識はいらないけど、小説は楽しいですよ。

 

そんなあなたには京極夏彦をオススメします。

姑獲鳥の夏』という京極さんの処女作が凄まじい。

最初に量子力学のような概念が出てきますから。

ちょっとは頭を使って読んでみるのもいかが?