人生のおつまみ

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良書を読むことについて考えた 読める人が少ないからアピールしている

最近、読書ブログ・書評ブログを見ているんですけど、

良書を読めという意見が多く見られます。私としては賛成ですけど、

ハードルが高いので、読んでもらうのは難しい

 

 

読める人がいない、良書。基本古典なんで、読むのも一苦労です。

大学で題材にするぐらいの本なので、簡単に読めるわけないです。

哲学とかならまだ読める可能性がありますけど、物理とか数学だと

売れることすら難しくて、売っている意味自体が良くわからなくなってくる。

 

良書って、基本的には読める人が少ないんですよね。

哲学の本、物理の本とか、良書と呼ばれているものは、難しい。

論語とか孟子も難しいですし、内容を把握するのも大変。今の時代簡単な本が

好まれて、難しい本を読んでも意味がないと思われてしまっても仕方がないです。

 

良書を古典と定義すると、役立つと考える人が少ないのも納得できます。

直接役立ちませんし、知っている人が自体が少ない。読んでいる人は、

社会的に地位があったり、頭が良い人なので、古典についての知識は

直接的には役に立たない。そう考えても仕方がない。

 

だった、読んで貰うには、アピールするしかない。

良書って、歴史は繰り返すではないですけど、未来をある程度予測することができます。

昔の人が死ぬまで考えたことが本になっているので、ある程度の人生の指針に。

だから、一流企業の社長とかも古典を猛烈に押してくるわけなんですよね。

 

まあ、社長さんは本を出版して売る必要がないので、そういうことが出来ますけど、

本を売ってお金儲けする人は、そんなことしても意味ないですし、自分の本を売りたい。

そう考えると、売れないのは自明の理で、読める人口を増やすにはアピールするしかない。

もっと読める人は増えれば人生に楽しくなると思いますけど、余裕がないと難しい

ですよ。