人生のおつまみ

好きなことを基本的にはコラム形式で書いています。スポーツ、アニメ、書籍、産業をネタにしています。

読書は時期がくれば勝手にするものー『読書はしないといけないの?』

読書は自分との対話

私は思うんですけど、読書って自分との対話だと思うんですよね。読書しろ!って空気が大嫌いで、人の勝手です、読書はいいものだよ〜と友達に言う感覚ならいいのですけど、当たり前のように読書は大切という強制は嫌です。本を読むなら自分で勝手に読みますし、必要となれば本を開くでしょう。別に人に言われるまでもないです。確かに読書は大事です。知識の吸収や思考力の強化など効果的なことはいくらでもありますけど、あくまで自主的に読む必要があるということ。本って必要な時期がきたら読みますし、そこまで頑に強制しなくてもいいとは思うんですよね。確かに学歴や資格が欲しいなら対策本を読んだり、学者・研究者になりたいなら専門書を読まないといけない。要は、目的があるなら読む必要があって、目的がないなら読むことはないなと。学歴や肩書きがある人の意見が通りやすいので、読書が大事と言われると反射的に読書しないといけないと考えるかもしれませんけど、結局は自分で決めることなんじゃないかと思います。

読書はしないといけないの? - 読書生活 think it over

yama-mikasa.hatenablog.com

趣味の読書か仕事・学問のための読書か

世の中がいう読書ってよく分からないんですよね。小説がよくて、マンガはダメという雰囲気もあります。活字なら何でもいいのかと思いますし、小説よりも哲学書がいいのかと考えることもあります。趣味と仕事でする読書って意味合いが違うとは思います。趣味は娯楽の読書で自分が楽しければいい。仕事でする読書なら、お金を稼いだり、キャリアを積むためにしんどくても本を読まないといけない。世の中が要求する読書の意味が曖昧なので、境界線が分からなくなることがあります。月に50冊小説を読む人と、難しい専門書を月に3冊読む人とどちらが賢いのか?という答えが出なさそうな比較になってしまいますし。読書を趣味とするなら、自分が好きなだけ読めばいいだけの話、読書をキャリアアップのための情報源とするなら、多少辛くても読まないといけない。世間が言っている読書って後者のような気もしますけど、何が正解が分かりませんね。趣味であれ、仕事であれ、自分で勝手に読めばいいだけで、人から指図される必要はないと思うんですけどね。江戸時代の寺小屋、現代の学校教育が大人になっても残っているという証拠なのかも。

人と出会うのが読書か……

人と出会うのが読書の魅力、著者と出会うのが最高の楽しみも読書の醍醐味かもしれません。ただ、哲学書で人生が変わったとかいいますけど、人によって環境が違いますからね。本で出会うよりも、現実に出会った人と関わりあう方が最高に楽しい場合もありますから。それこそ人それぞれであるので、決めつけは良くない。一々活字を読んで出会うよりも、言葉を話して関わる方が楽しいという人も多いでしょう。本なんかなくても人生楽しむことはできますから、人との出会いだけが読書の魅力ではないはず。自分は本を読むのが楽しくて良かったけど、他人はまったく違いますから。私は哲学書や理学書をよく読みます。それを人に良かったよとは言いますけど、強制はしたくない。現に学生時代は哲学とかほとんど興味なかったですから、強制されたら苛つきます。結局、本を強制する人は、難しい本を読んで自分の知識・思考力アピールをしたいだけなのかもしれませんね。大学の教授が学生に言うのなら分かります。学生も勉強しにきているわけなんで。ただ、一般の人に読書を強制してもあまり意味はないように思うんですけどね。ただの自慢にしか聞こえないですよ。