人生のおつまみ

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中学生のときに感じる『勉強する意味』について考えてみた

 勉強って強制的な意味で使われることが多いと思う。親や先生から「勉強しろ!」といわれ続けてからこその呪縛。でも、別に勉強なんかする必要はない!とは言いきれないのが現実。ある程度の学歴があれば、割といい企業に入れたりするし、職業の幅が広がるから、学歴って大人になってから実感する資格のような気もする。

 

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 中学生の時には、『勉強する意味』というのは考えたことがある。数学とかは好きだったらから、音読する国語とか暗記が多い社会とかについて、嫌だなあと思った。まあ、進学のためには必須だからある程度は勉強するけど、大学進学や就職という、目に見えた結果が見えない分、継続するのが難しいのも勉強のある意味でのデメリットの一つ。
 
 
 別に絶対に勉強する必要はなくて、手に職をつけて生きていくとか、新しいビジネスを考えたり、株式投資でお金を稼ぐというような具体的なビジョンがあればいいと思うけど、大抵は勉強が嫌という理由で、「勉強する意味」について考えてしまうのが現実かなと。

 

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勉強することが楽しければ、勉強の意味についてはあまり考えりしないと思う。勉強すればするほど点数が上がって、親や先生に褒められて、依怙贔屓されるようになれば、嫌な気分はしないから。勉強の義務感を無くすには、親や先生がテストの点数についてもっと寛容になればいいんじゃないかと感じたりもする。
 
 
 子供の頃って、何でも褒められるとやる気になって、すごく満足感が出てくるから、褒めて伸ばすって大事だと思う。だけど、親が高学歴で、子供にすごく期待している家庭ならそうは上手くはいかなそうではある。僕も数学で90点取って怒られたことがあったらしいから、そこら辺は理不尽。まあ、そんな記憶もいい思い出になるかもしれないけど、それがコンプレックスになってしまう可能性もあるから難しい。