人生のおつまみ

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ネットの極端な意見は世間を賑わす力になる?

 僕が大学に通っていた時に、とある教授に「実験・解析は極端にすると見えてくる」と教えられた。中途半端なパラメータでの実験や解析では、何が支配的なのかが分かり難くなるというもの。これって仕事に当てはめることができて、中途半端に仕事をすると、後で修正だったり、やり直しがきた時に精神的なダメージが大きい。何かのスキルを獲得するには、「極端にする」ということがとても大切だと思う。英語なら重要構文1万文憶えるとか、プログラムを何百個も写経するとか。スイーツ特集だと、パティシエになるために、数えきれないぐらいのケーキを食べたとか見たことがあるし、何事も身につけるには極端にするのが一流に近づく鉄則だと思う。

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 最近、Googleで検索しても、お目当ての情報が中々得られないという記事を見かけた。自分で検索する時には、かなり考えないと情報が得られないのに対して、極論はYahoo!ニュースやはてブなどで取り上げられるから、自然と目に入ることになる。極論ってそれほどパワーを持っているし、怖い側面もある。ほとんど場合は、根拠が曖昧だけど言っている人のパワーがすごいから、根拠なんか吹っ飛ばして僕たちの心に突き刺さることがある。そういうのを見ていると、根拠をしっかり考えて発信する話・記事ってなんだろうという気持ちになってしまう。ある意味で、実験と同じで極端に話をある方向に持っていくことで、非常に見えてくるものが分かりやすくなる

 現実でもネットでも極論というのは非常に怖いし、恐ろしい。特に、勢いを持って、それが『絶対に正しい』ように見える時には普通の人は逆らえない。はてブの意見が広がって、世間を賑わすニュースになってこともあるし、ネットから発信し、それに共感する人達の力は凄まじい力を持つことになる。見ていると、中途半端、どっちつかずの意見はそこまで力を持たないが、極論を振りかざしている場合、飛んでもない力を持つことになる。歴史から見ても、英雄と呼ばれる傑物に民衆が集まったように、現代はネットの一意見でも、みんなが共感すれば、それは『正しいこと』になるんだと思う。一個人の僕でさえそう思うのだから、大きな企業はそこに色んな理論を付加して発信するんだろうなあ。