人生のおつまみ

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虚構(嘘ニュース)だけど、ジャンプの主人公のようになるには血筋って大事なのか?

 なんか身も蓋もないようだけど、『血筋』ってすごく大事なように思ってしまう。政治家とか大手の社長とか血のつながりで後継者を選ぶことが多いから。全部が全部ではないけど、それなりに良い暮らしが出来ているように見える。特に政治家は、世襲と言われているけど、親がお金持ちでないと衆院選に立候補すらできない(公示日までに供託金300万円で比例代表との重複立候補だと600万円必要とのこと)し、事務所の家賃などの選挙期間に使う資金も考えると、最低1000万円はないと苦しい。ある意味で、生まれたときからチートな存在になれるのが血筋なのかなあと子供の時から感じることはあった。学歴で挽回も可能なんだけど、最近は東大を筆頭に一流大学に入るのにも多額の資金が必要とのことで、血筋が学歴を内包してしまった感はある(もちろんそれだけではないけど)。

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 少年ジャンプを子供から高校生ぐらいまで読んでいた。ドラゴンボール、ワンピース、ナルト、ブリーチなど主人公は血筋の力でのし上がっている。最初はそんなことはないのだけど、気づいたら「戦闘民族の生き残り」だったり「劇中最強格の戦士の息子」だったりと、努力・友情・勝利を謳っているわりには、夢がないなあと思ってしまう。努力だけでたどり着く境地みたいものを見たかったから。血筋って根拠が分かりやすいから使いたくなるというのは分かるし、それで強いの説明をすべて出来てしまう。それって暗に現実を描いているのかなあと。いくら努力しても、ナンバー1にはなれない。「最後の最後には血筋が必要だよ?」みたなことを言われているような気が大学生ぐらいの時にした。

 血筋が必要なのって、政治家とか企業の社長とか、そんなイメージ。努力で何となくなる部分もあるけど、国のトップとか日本の企業のトップになるには、まわりを納得させる血筋が必要なのかなと思った。昔だとお金で何とかなった部分もあるけど、今は規制されて不可能に感じる。別に何かの分野でトップになるのは難しいけど不可能ではないけど、国とか大きな組織のトップになるには血筋って大切なように思う。そう考えると、やっぱりジャンプの主人公が出てきてしまって、暗に洗脳されているのかも。逆に血筋があっても努力なしでは「ナンバー1」にはなれないわけで、何だか深い議論になっている気がする。でも、ドラマなんかでは、親族同士で血みどろの争いを繰り広げていたりするので、実際には血筋があっていいのか、悪いのかよくわからない部分もある。まあ、現状できることを頑張るしかないというのが僕の結論なんだけど。