又吉の火花についての出版界からの考察 芸術と出版からの考え方の違い
おめでとうございます。
ネットでは賛否両論ですが、これは立ち位置の問題で変わってきます。
自分としては、出版社よりの考えなんです。
紙の本を売りたい出版社
上の2番目の記事では、本が売れないということを考察なさっています。
私は、本が売れないというのは間違いで、
『紙』の本が売れないというのが、出版社にとっての問題なんだと感じています。
本は、作家や編集者だけでなくて、出版社、印刷業者、配送業者、本屋と関連する企業が、電子書籍と比べると非常に多い。
電子書籍は、印刷業者と配送業者、それに本屋もいらなくなる、さらに言うなら出版社すら抜いて販売することも可能です。買う方にしてはメリットが大きいですが、売る方としてはデメリットの方が大きい。
長年の付き合いもあるでしょうし、印刷業者や本業界にも大企業があるので、利権などのいろんな面倒くさいことがあるんだと思います。
本って昔から、それも戦前から出版されていますから、本を売ることは、『システム』としていろんな企業が関わってきていて、だからこそ紙の本が大事なのかなと。
電子書籍は、作家が作品を書いて、出版社を通さないで売ることが可能なので、出版業界から見たら脅威なんでしょうね。飯の種がなくなるわけなんで。
芥川賞は商業主義?
私は、本を売るというのは、完全な商業主義だと思っています。専門書などは抜いて、ビジネス書や小説に関してですが。
昔、純文学や小説というのは命をかけて書くもの。お金儲けするなんてナンセンスという時代があったそうです。商業主義とは真っ向から対立するものでしたが、時代の流れか、わかりにくい純文学や小説は商業主義に傾いたとか。
別に又吉さんは悪くないと思いまし、出版社から見たら、今回の受賞は流れかなと。
本を売るために、大きな賞で注目してもらうというのは悪くないですし、生き残るための選択としては、ベターと言えます。
今の世の中は、多くの人が本を読んでいますが、難しい本を読める余裕のある人はそんなに多くないと思います。専門書(工学・医学・バイオ、法律・建築など)は仕事で使うので多くの人が読み込みますが、純文学などは仕事で使う機会がほとんどないので、難しい本来の意味での純文学は売れないと思います。
本を売るという意味では、今回の判断は妥当かなと。
本来の純文学とは?
私が思うに、本来の意味での純文学とは、
「誰にも理解されなくてもいい でも世界で1人ぐらいは理解してほしい」
ということだと思います。
商業主義の対極な考えですが、芸術全般に言えること。
誰にも理解されなくていい、もっと言うと、作家が死んだ後に理解される、かなり難しいもの。
そう考えると、そんな作品怖くて企業としては取り上げにくいですし、売れるまで50年ぐらい掛かります。それほど長期的な販売戦略なんてとれるわけないですし、売れる保証もない。
純粋な意味での純文学をしたければ、自分で書いて、ネットのブログなどにアップする、自費出版をするなどをしないといけません。
ある意味、自己満足な世界でもあります。
火花が本を売る絶好の機会
今回の芥川賞受賞がきっかけで、本は売れると思います。又吉さんが批評している帯のついた文庫も売れているようですし、本が好きな私としては出版業界・本業界が活気づくので嬉しい。
色んな本が生まれて、それを読んで感動するのは気持ちいいですから。
人によっては、商業主義反対!という人もいると思いますが、これも時代の流れだと思います。芥川賞を受賞した方全員がベストセラー作家になるということでもないですが、話題作りは必要。今の時代、娯楽が多くあるので、難しい本なんて読んでいる暇はないというのが本質だと私は思います。
私は本が好きです。理系の大学・大学院を出ているので、宇宙論や哲学、物理、数学の専門書も好きですし、小説やビジネス書も好きです。
私の考えとしては、そういう難しい本を出版するためには、売れる本も必要というもの。その資金力を使って、難しい本を売ったほうが、全体的な利益になると思います。
全部が全部、話題性先行ではないので、いろんな物の見方が必要だと、私は感じます。