人生のおつまみ

好きなことを基本的にはコラム形式で書いています。スポーツ、アニメ、書籍、産業をネタにしています。

ドラマから見る豊臣秀吉の人生 〜子供がいれば、いなければ老後が変わったかも〜

hikarujinzai.hatenablog.com

fujipon.hatenablog.com

今は真田丸が人気とのことですけど、歴史上の人物として豊臣秀吉という人物は絶対に外せません。大阪の人間からしたら大阪城を築き、天下を取った人物として有名な人。その豊臣秀吉ですけど、ドラマでも狂気の人物として描かれています。特に子供の秀頼が誕生したころからおかしくなり、豊臣政権崩壊の原因をも作った人物として評価が分かれる人物。ドラマでは竹中直人さんが有名ですけど、立身出世を絵に描いた人物であり、日本人が好む出世物語の主人公としては最高ではあります。織田信長なき後、その代わりを必死に務め、そこから這い上がって自分の人生を切り開いてきた豊臣秀吉。巧な話術と行動力、相手の懐に飛び込む術を使って名立たる戦国大名を従えさせた。今に愛されていて、だからこそドラマや小説などでは色んなパターンの秀吉が出現して私達を楽しませてくれます。ただ、思うのは秀吉は子供が沢山いれば、もしくは子供がいなければ完全な人物として評価されたのかと思います。歴史では敗者は完全な悪者に書かれてしまい、正しい評価が出来なく一因ですけど、秀頼が生まれる以前とその後では完全に人が変わってしまっているということ。これについて考えていきたいと思います。

 

あくまでドラマなどを見て思った秀吉像なので正しい歴史的人物像ではないということを断っておきます。秀吉は秀頼が生まれる前までは、自分の家族を大切にして団結を持って統制していました。秀長と協力し、自分の親や親戚を大切にする秀吉。ここまでは人の良いおじちゃんです。徳川家康や今話題の真田家など、配下の武将から見たら恐ろしい人物ですけど、親戚から見たら人の良いおじちゃんであり、慕う人物でもありました。石田三成加藤清正は多くの作品で秀吉のために命を懸けている場面がありますし、秀吉が気に入り、本気で慕うものには優しかったということです。だからこそ、秀頼が生まれたことによってすべてが変わってしまった。団結よりもコミュニケーションよりも、自分の子供を選択してしまった秀吉。長く跡継ぎがいなかった秀吉で最高権力時と高齢というタイミングで生まれてしまったからこそ、正しい判断が秀吉にはできなかったのでしょう。もし、もっと若い時に秀頼が生まれていたならば、多くの子供がいれば、秀次の悲劇もなかったことだと思います。子供の存在は跡継ぎの問題に直結するんで大変に難しい問題。秀吉も悩んだことでしょうが、権力とは怖いものです。

 

秀吉には秀頼が生まれましたけど、あくまで当時の跡継ぎは秀次。しかし、秀次の焦りから謀反の疑いが出てしまった。秀吉は当時は秀次を後継者、そして秀次の娘と秀頼を結婚させて跡継ぎをさせたという説があります。しかし、秀次からしたら秀頼が生まれた時点でお払い箱の危険性が高かったわけですから、秀吉が本音を語ってもそれを本気とは受け取れなかったはず。もし、秀頼がもっと早くに生まれ、秀次が秀吉のいう秀長的なポジションになれれば人生は大きく変わったはず。さらに秀吉が子沢山であったなら、秀頼を長男として子供の育て方や大名との接し方など多くのことを学べたはずなのですが、それも叶わなかった。秀吉はそれまでは親戚や家臣の団結を固めていたのに、秀頼が生まれた後は秀頼を優先させてしまったために、豊臣政権崩壊を早めてしまった。跡継ぎがいるいないというだけでこれだけ人生が変わる。戦国時代は跡継ぎは重大で、それだけでお家断絶になってしまいますから。それまでの団結を重視して世の中をまとめていれば狂気の秀吉にはならなかったはず。秀頼というたった一人の子供の存在で変わってしまった秀吉の評価。親としては子供が可愛いと思いますけど、最高権力者となると、子供だけではなくて配下の武将、家族、親戚とあらゆることを考えないと、権力というのはあっという間に崩れてしまう。そんなことを感じました。