人生のおつまみ

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先生達からみた『読書感想文』ー評価する立場なら添削の意味も変わってくる

読書感想文も書き終えて提出した子供達も多いと思いますけど、読書感想文って先生達の立場から見たら変わってきます。そんなの知るか!子供の目線で物を見ろ!って声もあると思いますけど、多くの視点から見るのは色んな発見があるので大事です。

読書感想文を添削したりするのが先生の仕事の一つですけど、実際には「感想文」にも「型」があります。読書感想文全国コンクールなんてものがあって、内閣総理大臣賞や文部科学大臣賞という賞も存在します。

ということは、何かしらの感想文としての体裁、説得力、論理性を評価する基準がないと、大臣の名前の賞なんて作れません。

「なぜ選んだのか?」「自分が良いと思ったからです」とある読書感想文を総理大臣賞に選んだとして、もし総理大臣が同じ質問をしたらどうするんでしょうか?自分の感性で選んだとは口が裂けてもいえないはず。

国語は昔から読者の気持ちを考えろと言いますけど、それは書いてある文章から読み取れることから判断することであって、想像力を使って個人個人が勝手に判断するものではないです。その中で感想文が宿題として出されているということは、論理の中で、自分の感情を込めなさいということに他なりません。

 

聞いた話では、センター試験の現代文は、官僚になるためのセンスを見る試験だとか。数学並の論理力が必要で、文中に書かれていること以外のことは絶対に正解になりません。だから、小説では、小説を数多く読んでいる人が逆に引っ掛かって不正解を選択するようなこともあるそうです。出題文以外の部分の情報を使ってしまうから。

国語って、実は論理です。子供の頃から出題者の意図を読めと言われてきましたけど、あれは「文中からその部分を抜き出して加工しろ」って意味だったりします。

ただ、小学生にはそれが難しいから、その前段階として思ったことを書けってことで読書感想文の宿題が出ているんだと僕は思います。その中で、優秀なもの、将来的に国語のセンスを感じさせる作品をコンクールに出して評価してもらう。読書感想文って、将来的な国語力、論理力を感じさせる作品を選別するための、テストかもしれません。

 

何気に恐ろしいですけど、国語の先生にとって、読書感想文は一握りの作品以外はどうでもいいと思います。特にコンクール受賞を目指している意識高い系の先生にとっては。

読書感想文としては、

  • 将来的に高い国語力を持ちそうな子供の作品をピックアップしたい
  • そのためにコンクールを開催する
  • コンクールで大きな賞を取るために、自分の生徒の作品を選別
  • レベルの高い子供の作品が集まる

みたいなことをずっと昔から偉い人達が考えて実践してきたのではないでしょうか。国語教育の中で優秀な作品を生み出すために、読書感想文を宿題として出しているのかなあと。要はレベルの高い生徒を見つけるためだけに毎年出題している読書感想文。何気に子供の頃から研究者の世界と同じようなことをしているんだなというのが僕の感想です。