読書後の感想として『面白い』もいいけど、『分からない』も感想の一つ
ブログに読んだ本の感想を書く事は多いだろう。本に対して何を感じたかを書いて、読書と共有する。本好きとして、読んだ本の内容を言い合って、情報を共有したいのはコミュニケーション上仕方がないことだと思う。
読書感想文は夏休みの課題の一つ。書き方が分からなくて、あらすじを書く事もあったが、感想を書くのは意外に難しい。何を感じて、なぜそう思ったのか、それをしっかりと分かりやすく書く必要がある。
読書感想といえば、面白かった部分となぜ面白かったかを書く。面白い部分を人間を求めてしまうし、なぜ面白いのかを知りたいと思ってしまう。
読んだ本に対して、何が面白かったがというのは自分の思考を投影させる行為である。自己分析の一つとして、自分は何に面白みを感じるのかを分析するのも良い手段である。面白いことはつまり楽しいことなので、改めて分析することは少ない。
ただ、面白かったもいいが、分からないも感想の一つ。分からないからこそ、なぜ分からないのかを分析して、新しい発見の手助けにすることができる。分からないはネガティブな意見であるが、だからこそ分析する勝ちがある。
分からないというのは、子供の頃から中々言い出せない言葉だが、非常に大事。分かっていることは自然に理解できるが、分からないと理解が先に進まないので、新しい発見が生まれ難くなる。何が分からないかをはっきりさせないと、疑問の答えを考えることなく通り過ぎてしまうのが非常に痛手だ。新しい価値観は分からないという思考を突き抜けた先にあることが多い。
答えよりもプロセスが大事で、結局答えの出ることなんて少ない。感想に関しても、面白かった!は誰でも入れるわけだが、なぜ面白かったかを考えて、そのプロセスを分析することで、新しい発見がある。
感想は自分の思考を文章化させることに意味がある。面白かったor分からないを言語化することで、自己分析が可能になる。