人生のおつまみ

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ダルビッシュが考える「育成世代の投げ過ぎ」-現役世代が指導者になるまで?

ダルビッシュ選手が投げ過ぎ問題に言及しています。今回はこれについての感想を綴って行きます。

気になったニュース

育成年代の投げ過ぎ問題

近年「育成年代の投げ過ぎ問題」は日本の野球界でさまざまな議論を生んでいる。現役選手からの率直な提言なども続き、少しずつ子どもたちの成長よりも勝利を優先させる現状に対する問題提起も見聞きするようになった。それでもダルビッシュ有は「自分たちの世代が引退してコーチ・監督になる頃までは日本の野球は変わらない」と話す。

ニュースの感想

去年はセンバツ夏の甲子園がなかったので、高校3年生は自分のパフォーマンスを見せる機会がなくて、進学や就職に大きな影響を与えていたと思います。甲子園に出場すること自体、自分の人生にとっては大きなことで、野球に関係ない進路に進むにしても、その思い出を胸に人生を歩むことができます。コロナの状況次第ですが、開催できたという意見もありますが、夏になると感染者数が増加しましたし、もしクラスタが発生したら、全国から選手が集まるために、感染者が全国に散らばるというリスクがあっために回避したという意見もあります。どちらが正しいかは分かりませんが、高校生にとっては重大な一年が無くなった事実は変わりなく、誰にも言えない苦悶の想いを持ってしまったと感じます。

高校野球といえば、「投げすぎ問題」がやり玉に上がることが多くなりました。昔、それこそ20年ぐらい前までは、何試合も完投することが当たり前でしたし、それこそ優勝を狙える高校だと、一人のエースがほぼ全試合出場&全試合先発みたいなこともあり、一試合あたり100球以上は投げていました。プロ野球でもメジャーリーグの影響で、肩の消耗を少しでも緩和するらめに100球投げた交替という手法が確立してきました。それを高校生にも応用して、休日を設けて連投の疲れを取るなどの措置が取られています。

ただ、高校野球というのは勝利至上主義の部分はあります。競技なので勝ち負けがあり、特に私立高校の場合は甲子園の勝利が大きな広告になって、生徒を集める手段になるので勝利は必須。監督も高校生を教えながら、生徒の身を案じることもあると思いますけど、甲子園に出場し自分のキャリアが積めるとなると、自分可愛さに投球制限などがないと、勝つためにエースを犠牲にすることも考えられます。しっかりとした投球やイニング制限が必須なのでは?と思います。

センバツ夏の甲子園に代表されるように高校生の投げ過ぎ問題が毎年出てきます。昔は当たりに前に完投するしていたのが、今では問題になっていることに色々考えされます。アメリカでは投げ過ぎることはなく、5回程度投げたら交替という文化だろうでかなり気になりました。ダルビッシュ選手の投球論、育成論は野球をする高校生に参考になる良い話になるのではないか、というのが感想です。

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  • 発売日: 2016/01/22
  • メディア: 新書