人生のおつまみ

好きなことを基本的にはコラム形式で書いています。スポーツ、アニメ、書籍、産業をネタにしています。

忘れてしまう読んだ本の内容は気にする必要はない

本を読んでもすぐに内容を忘れてしまうということはよくある。ふとした時に、読んだ内容が頭に浮かぶことはあるが、特定の知識・情報を思い出そうとしても中々出てこない。知り合いに読んだ本をオススメしたくて、内容を説明しようとする時がある。「これは…ということが分かるよ」的なことは言えるけど、細かい内容は忘れてしまっているので、突っ込まれるとあやふやな知識で逆に不信感を持たせてしまうことがある。

 

読んだのは確かであって、家に本があるし、読書ノートも残っていた。だけど、肝心の内容が頭に入ってはいるが、好きなタイミングで取り出すことができない。しっかりノートを残していたとしても、実は記憶には残っていないなんてことはよくあることである。

 

年齢を重ねるにつれて、自分が読んだ本そのものよりも、読んだことについてすら怪しくなってくる時はある。ビジネス書や専門書なら何度も読むので、記憶に残ることも多いが、小説となると、似たような設定も多くなるので、かなり曖昧になってくる。

 

忘れるぐらいなので、小説は読むのを控えようかと思うこともあるが、何だかんだ言って、物語は好きなので読んでしまうことになる。子供の頃に読んだインディージョーンズの小説やミステリにハマったきっかけである東野圭吾さんの小説の出会いを思い出して、感動という何ともいえない充足感に浸りたくなるのだ。とはいえ、その小説も読んだはずなのに記憶にない本もあり、人間は何度も読んだ本以外は忘れてしまうものだと思った。

 

読んだ本を忘れないためには、読書術関連の本を読めばいいのだけど、書いていることは学校で習ったようなことが多い。読書ノートやメモを取れというのが基本的な戦術となる。問題なのは、読書ノートを作っても、見返さないと意味がないという点。何を読んだかを憶えていない本質は、『憶えていない知識・情報は使わないから消えている』という点。本を無い要を憶えていないというのは、日常生活で使わない、またはじっくり何度も考えていないということになる。

 

 

読書術で読書ノートが大事というのは、ノートを何度も見直して、日常に活かせということを言っている。

 

ということは、本の内容は忘れてしまっても全然問題がないわけで、

  • 憶えていない内容=使い必要がない情報
  • 憶えている内容=使う機会が多い情報

ということになる。

 

結局のところ、本の内容を憶えていないのは、その情報が使う必要がないor使う頻度が少ないということ。仕事で使う知識がそう簡単に忘れないのはそーゆーことであり、使う頻度が多い情報は、自動的に頭に残るということだ。自分に大切な内容は忘れないし、本の内容を例え忘れても、それは使う必要がない情報となるから、全然問題ないと思う。