人生のおつまみ

好きなことを基本的にはコラム形式で書いています。スポーツ、アニメ、書籍、産業をネタにしています。

読書後の感想として『面白い』もいいけど、『分からない』も感想の一つ

ブログに読んだ本の感想を書く事は多いだろう。本に対して何を感じたかを書いて、読書と共有する。本好きとして、読んだ本の内容を言い合って、情報を共有したいのはコミュニケーション上仕方がないことだと思う。

 

読書感想文は夏休みの課題の一つ。書き方が分からなくて、あらすじを書く事もあったが、感想を書くのは意外に難しい。何を感じて、なぜそう思ったのか、それをしっかりと分かりやすく書く必要がある。

 

読書感想といえば、面白かった部分となぜ面白かったかを書く。面白い部分を人間を求めてしまうし、なぜ面白いのかを知りたいと思ってしまう。

 

読んだ本に対して、何が面白かったがというのは自分の思考を投影させる行為である。自己分析の一つとして、自分は何に面白みを感じるのかを分析するのも良い手段である。面白いことはつまり楽しいことなので、改めて分析することは少ない。

 

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

  • 作者:田中 泰延
  • 発売日: 2019/06/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

ただ、面白かったもいいが、分からないも感想の一つ。分からないからこそ、なぜ分からないのかを分析して、新しい発見の手助けにすることができる。分からないはネガティブな意見であるが、だからこそ分析する勝ちがある。

 

分からないというのは、子供の頃から中々言い出せない言葉だが、非常に大事。分かっていることは自然に理解できるが、分からないと理解が先に進まないので、新しい発見が生まれ難くなる。何が分からないかをはっきりさせないと、疑問の答えを考えることなく通り過ぎてしまうのが非常に痛手だ。新しい価値観は分からないという思考を突き抜けた先にあることが多い。

 

答えよりもプロセスが大事で、結局答えの出ることなんて少ない。感想に関しても、面白かった!は誰でも入れるわけだが、なぜ面白かったかを考えて、そのプロセスを分析することで、新しい発見がある。

 

感想は自分の思考を文章化させることに意味がある。面白かったor分からないを言語化することで、自己分析が可能になる。

仕事で問い続けることの重要性

問い続けることが重要だというのは、ソクラテスが言っている。疑問を呈して、それを解決させるために考える。問うことで自分に何が必要なのかが分かってくる。子供の頃の勉強って問題という疑問に対する答えを教えることだと思う。

 

実際に仕事でも趣味でも、無意識に問うことってあると思う。「これってどうすれば上手くいくかな」と考えて、仕事に応用していく。最初は仕事の進め方が分からないけど、慣れてくると知識の中から対処法を考えることができるようになる。問いって大切なんだけど、自分の中に無意識で出てくるぐらい集中するのが大事。

 

分からない時には、頭のなかで「なぜかなあ?」と疑問が浮かぶ。どうしたら解決できるかなと考えていると、対処法は何個が出てきてそれを一つずつ試していくのが仕事のやり方かなと思ったりもする。慣れないとしんどい作業なんだけど、自然に疑問を作って、答えを出すやり方は、慣れると一気に仕事を楽にしてくれる。

 

使う哲学 (ベスト新書)

使う哲学 (ベスト新書)

 

 

自分の頭でしっかり考えることが大切だけど、中々実践するのが難しい場合もある。そんな時には、先輩に聞くとか、調べてみるとかして、ノートなどにメモっておく。仕事で大切なのはメモることじゃなくて、分からない問題に対するヒントを書留めることだと感じる。

 

案外、一度感じた疑問は再度思い浮かぶ。忘れた頃に問題は復活して困らせてくるんだけど、ノートやメモがあれば解決法が分かるから便利だ。見直すだけで問題解決方法が分かるようになる。ソフトの使い方などや仕事のノウハウなどを書いておくといい。


問い続けることで何かがいきなり変わることはないけど、ノウハウを蓄積できるので長期的に見れば変わると思う。誰でも仕事をしている時に思い浮かぶようなことでいいと思う。難しい考える必要はなくて、気軽な質問でも頭に浮かべばいいと感じる。


哲学って最近ビジネス書などでも紹介されることが増えた。一見すごく分かり難いのだけど、著者の経験と知見で解説してくれるのは有り難い。とはいえ、哲学の本質は知を愛することなので、学問的な知見が大いに必要なんだけど、自分に役立つ部分を応用していけばいいと思う。

小説を読むのは、自分の知らない職業をしりたいためか

小説を読むのは楽しい。自分の知らない世界を知る事ができるからだ。普段生活していると、数多くの業界を知る機会は少ない。幅広い業種と知り合える仕事をしている人もいると思うが、僕の場合は、それほど多くはない。だからこそ、色んな世界を表現している小説は没個性してのめり込むのに最適だ。

 

小説なんか読書じゃない、もっと難しい本を読んだ方がいい的な意見は確かにある。基本的に、新しく勉強する必要はないし、自分の経験と知識だけで読めてしまう。それがメリットだと思うのだけど、空想の世界は現実と違いすぎるので、嫌いな人もいると思う。論文とかかたい文章を読むのが好きという知り合いを思い出してしまうのだけど。

 

 

ただ、キャラクターの追体験を出来る意味で小説は素晴らしい。僕が知らない世界を、まったく関わったことがない性格のキャラが思う存分その世界を生きている。楽しいだけではなくて、喜怒哀楽すべての感情を発して生きている。その世界観に感動さえ憶える。小説が好きな人は、知らない世界で生きている姿に感情移入する。

 

夏目漱石三四郎から、当時は滅多にいなかった東京帝国大学の学生の恋愛事情、人間関係を知る事ができる。書評などを読んでいると、かなり斬新だったらしい。明治時代ならネットなんかあるわけないし、本という世界からでしか東大生の生活を知る事ができなかっただろう。当時は、時代の転換期で一部の支配層、富裕層ぐらいしかわからならいと思う。

 

三四郎 (岩波文庫)

三四郎 (岩波文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 発売日: 1990/04/16
  • メディア: 文庫
 

 

くり返すけど、小説の醍醐味の一つは、まったく知らない世界の内情を知る事。手に取った本を見ているだけで思う存分楽しむことができる。現実逃避と思われるかもしれないが、ストレスが溜まっている時には、それが至上の幸福になったりする。挫折した時に、小説を読むとかなり満たされる。

 

知らないからこそ楽しめるし、ワクワクできる。逆に失望するがそれも味である。小説の醍醐味はこのワクワク感であり、キャラクターと一緒になって感情を発露させながら物語を進める点にある。

 

最近は異世界ものを売れているが。転生という視点から主人公と一緒に自分を追体験できるのが強味。30〜40代に売れているというニュースがある。人生をやり直したい気持ちもあると思うのだけど、確か彼らが20代ぐらいの時にハルヒブームがあったから、その影響が強いと思うのだけどね。

 

異世界で焼きもきしたり、嫉妬したり、応援したりする。自分ができなかったことを主人公が代わりに体験してくれる。他人からみたら気持ち悪いかもしれないけど、割と本人は満足している(僕を含めて)。ライトノベルだろうが、小説なので、物語に埋没するのはすごく楽しい。

 

小説は感情移入ができるからこそ、大いに楽しめる。僕も子供の頃はほとんど読まなかった。国語の授業で習うような小説は取っ掛かりとしてはハードルが高すぎる。偶々読んだ本にハマって小説にのめり込んだ人がほとんどだと思うのだけど、他の人は、どのようにして最初の小説と出会ったのかというのがすごく気になる。

文章のトレーニングとしてSNSを使うのはメリットあるのか

ブログで文章を書いていると、文章術について気になるときがある。自分の文章ってどう何だろうか?点数をつけるなら何点ぐらいかというのは思わず疑問に思ってしまうところだ。文章に正解はないと思うけど、人に伝わるのはどういう文章か、文章を上手くするには何をすればいいかなど、気になることは多い。

 

文章術で文章力を鍛えるには、SNSを利用せよみたいなことが書かれてある。文章術の本やネットの情報などで書かれている方法で、とにかくSNSを利用して文章力をアップさせよう的なニュアンスで書かれていることが多い。

 

それは賛成で、比較的短い文章、ツイッターなら140字で言いたいことを書かないといけない。文章を書いたことがないと、100文字でも結構な量になるので、練習としてはもってこい。匿名なので、自分の意見を言いやすいという側面もある。facebookもあるけど、あちらは実名を使う必要があるので、ある程度慣れてから使った方がいいと僕は思っている。

 

短い文章で、言いたいことを表現するには、要約力、想像力が必要だ。言いたいことを100字で書くというのは、最初は難しい。何を言っていいか分からないことがあるが、少し書いていくと、100字程度でも全然足りなくなってくる。そこで何を言いたいかをシンプルにさせるために、意見を要約しないといけない。要約こそ文章力アップの秘訣の一つだと感じる。

 

その意味で、SNSで文章を発信するのはいいと思う。簡単にツイートできるし、コメントの反応もあるからモチベーションアップに繋がる。自分が書いた文章が間違っていようがいまいが、最初はとにかく練習あるのみなのだが、気楽にかけるSNSは非常に敷居が低くて助かる。

 

ただ、あくまでSNSはコミュニケーションツールなので、人との対話が本質にある。文章を見てもらうブログとは別と思わないといけない。言いたいことをはっきりと、論理的に書くには、SNSではスペースが足りないし、連続で投稿しても、部分的にしか見られないので、下手をすると誤解を与える可能性もある。そーすると、他人に寄せた文章になりがちなので、自分の意見が弱くなることもある。

 

SNSの超プロが教えるソーシャルメディア文章術

SNSの超プロが教えるソーシャルメディア文章術

  • 作者:樺沢紫苑
  • 発売日: 2012/04/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

他人の意見に寄せることは悪くはない。色んな意見を参考にして、自分の意見は出来上がるものだ。ただ、自分の言いたいことの色が薄れてしまって、個性が埋没してしまうので、そこら辺の塩梅が問題になってくるのだけど、これは慣れるしかない。他人の意見から新しい考え方も生まれることもあるから、色んな意見を参考にして自分の文章を組み立てた方がいい。

 

元から文章を書きまくっている人はいいが、あまり文章を書いたことがなかったら、SNSは結構な練習の場として使える。ツイートしている人もかなりいるので、自分と同じ意見、違う意見を見つけやすいし、かなり面白く文章を書ける。とはいえ、思考の流れを書くなら、長文をかけるブログがいいので、SNSで慣れてから、ブログで自分の想いを書いた方がいいんじゃないかというのが僕の意見だ。

1つの本から得る情報は3つだけに絞ると楽

本を読んでいると、大切な部分はあれもこれもと欲張ってしまう。たくさん情報が書かれていると、全部大事に見てくるのは、知的好奇心から仕方のないこと。でも、1冊ならまだしも、何冊もあるなかで、すべてを取得するのは時間的にも難しくなる。

 

欲張って多くの情報を仕入れていも、何が大切かが分からなくなるから、結果的に意味がない。何が大切で何が不必要かをしっかり認識して読まないと、何度読んでも自分の頭の中に入ってこないし、そもそも時間が無駄になっていく。たくさん読むことは良いのだけど、何が重要かとしっかりと認識していきたい。

 

情報の中で、憶えたい情報をいくつかピックアップするといい。数を絞ることで、見る範囲が狭まるが、よりしっかりと読むことになるので、質が上がって読んだときにより深く理解することができるようになる。

 

 

情報を絞るのは3つ程度が丁度いいと思う。個人差はあるが、3つ程度なら、簡単でそれぞれを比較しながら憶えることもできる。ビジネス書を見ていると、この【3】という数字が大事で、3つだと憶えやすさが全然違うそうだ。確かに、ニュースなどを見ると3つに絞っている記事を散見することがある。

 

逆に、何でもすべて憶えるのもいいとは思う。それは1冊だけ読む時にできる。読む本を絞るならば、繰り返し読む事ができるから大抵憶えることができる。資格試験対策本や仕事で使っている本などはかなり鮮明に憶えることができるように。

 

何冊も読んで、その中から情報を得たいと言うときには多すぎない量がいい。上記では、3つに絞れを書いたが、絞ること自体が大事になる。極論言えば一つでもいいわけで、人間って制限をつけるからこそ、そこにフォーカスすることができる。

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

  • 作者:pha
  • 発売日: 2017/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

自分に合った個数で憶えることがいいと思う反面、全部が大事という場合もある。それは臨機応変に自分で取捨選択して、大切な本なら全部暗記する気合で、多読するなら1冊につき3つに絞るなど自分なりにアレンジして読む事が重要だと思う。人間、この世にあるすべての本を読むのは無理で、すべての情報を得る事はできない。自分なりにできることをしていくことが大切だと思う。

勉強は習慣化させると、危機的状況時に役に立つ

子供の頃から勉強はしんどいというイメージがある。親からプレッシャーをかけられて、嫌々勉強したも多いと思う。勉強を習慣すると、自然と物事に対する知識が増えて、仕事なども効率的になるのだけど、それがかなり難しい。

 

子供の頃は遊ぶのが好きった。勉強はあまり好きではなかったからとても苦しい作業だった。結果が出ればかなり楽しくなるのだけど、それがゲームのような感覚で、かなりの時間を必要としてしまう。数学や物理とかはいきなり点数がよくなるからビックリするけど。

 

大人になっても勉強をしている人は、昇進などのために資格を取得したり、業界の知識を吸収したりと、普段から勉強しないといけない状況にある。そーゆープレッシャーの中でないと、中々勉強をする機会は生まれない。学生と違って、業務の疲れがあるからだ。

 

やはり仕事だと程度のプレッシャーがないと習慣化しない。仕事で資格ありなしで給料が変わらないのなら、勉強しようと気にならない。大学の頃を思い出すが、興味のない学問でも、テストやレポートとなると勉強した記憶がある。人間ってちょっとした圧力がないと、腰を据えて勉強しないのだと感じた。

 

勉強と言っても、別に数学とか社会などを積極的に勉強するのではなくて、仕事に必要なこと、物事に対する知的好奇心、趣味に対する学習も勉強だと思う。特に、趣味に関しては、勝手に努力することになるから、案外学習量は多くて人にびっくりされることもある。読書が趣味で、偶々それが有名な本だったとすると、やたら褒められるということもあったりしたから、人によって勉強という概念は違うのだと思った。

 

勉強を習慣化させるには、

  • 勉強の習慣化の方法①=ある程度のプレッシャー下での学習
  • 勉強の習慣化の方法②=好きなこと、楽しいことを学習

があると思う。②はストレスなく自然に勉強できるから、習慣的な勉強はまずは②になる。そこからプレッシャーだったのが、ストレスなく勉強できるようになるのが理想だ。ある程度のことなら自然とネットなり本なりで調べている状況とイメージしたらいいと思う。

 

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

  • 作者:pha
  • 発売日: 2017/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

最近の世の中の動きに対して、勉強(調べること)って大事だなと思った。役所のホームページを見たりして、現状、都道府県の方針、補償、国との関係などを調べる機会がかなり増えた。見てるだけでも違って、テレビやネットニュースで言及されている情報よりもかなり深い情報がそこにはある。

 

ただ、得てしてそーゆー場所の情報というのは、法律などが絡んでいるので、非常に分かり難い。もちろん分かりやすくしているのだけど、何度も読まないと分からない部分も結構あったりする。勉強しなさいというのは、「危機的状況に陥った時に、どうすれば自分は助かるのか、またはその可能性を上げることができるか」をある程度、機械的に取得し、そこから色々考えて自分のやり方・道を見つけなさいということだと思う。

モノ作りの単純作業で得る達成感をおうちで実行する

新型コロナウイルスによる自粛が続いている。在宅ワークはできるが、いつもと違う環境であり、家で過ごす時間も多くなって仕事に集中できない可能性だってある。ただでさえ、仕事でストレスが溜まるのに、それ以外で疲れるのはかなり辛い。

 

普段外にいる人は、人に会えないからストレスが溜まっているようなニュースがあった。確かに、人とコミュニケーションを取るとストレスが発散させる。仕事で残業まみれでしんどかった時に、ふとした同僚との会話でかなりやる気が補充された経験がある。

 

自宅でストレスを発散させて、達成感を得る方法がいくつかある。代表的なのはDIY。昔で言うと、日曜大工だろうが、本棚でも犬小屋でも子供のおもちゃでもいいから作ってみる。簡単なものでも、集中して作業できるので、案外気持ちが開放される感がある。

 

まあ、それをやるとホームセンターに行く必要があるのでオススメはできない。自粛解除になれば話は別だ。GW中は、ホームセンターでは人がいたようなので、世間的にはどうなんだろうと思う。

 

僕としては、モノ作りとして、【レゴ】か【ガンプラ】をオススメする。おもちゃであるが、大人がしても面白いし、子供と一緒になって組み立てられるので想像力も養われるのではないかと感じる。まあ、それは個人の意見であるが……。

 

どちらも説明書通りに作ればかなり精巧なものが作れる。お城や基地や戦闘機がレゴで、ガンプラなら多種多少なモビルスーツである。完成する姿を見ると、何ともいえない達成感がある。一見バラバラな部品が、一つのモノに向かって組み立てられるのは、素晴らしいとさえ感じる。

 

さらに、どちらも改造できて、自分の好きなようにいじることができる。具体的には、

  • レゴ   = 頭の中にいる静的なイメージを好きなような表現できる
  • ガンプラ = 頭の中にいる動的なイメージを好きなような表現できる

となる。レゴは車などは別だが、ほとんどの場合、気楽にガシガシ動かすのは難しい。

 

 

なので、かなり大きな城だとか、宇宙船などを幅広く組み立てることができる。逆にガンプラは、かなり可動範囲が広く、人間と同じようなポージングができるのが魅力だ。レゴと組み合わせて、色んな遊び方が出来てしまう。大人になってから、ガンプラの偉大さに気づいてしまう人も多いかもしれない。

 

人間空想だけだと、達成感がないから空虚になるが、モノ作りなら、何か作った現実の物質があるから、すごく達成感が出てくる。説明書通りに作るだけの作業だけど、かなり集中できてしまうのが魅力だ。おうちにいるからこそできることをしたいし、ストレスも発散したい。そんな時に、モノ作りをするのは良いと思う。

本を反復して読むのはいいことか

僕は本は基本2回読む。1度読んだだけではしっかり理解できないからだ。流し読みしてから読むと、どこが大切か、読むべき箇所はどこかが分かるようになる。特に学生の勉強や社会人の仕事としての読書のときには役に立つ。

 

学生時代に読んで本の中で、小説はだいたい憶えているが、詳細な物語は中々憶えていないことが多い。あんなにハマって読んだのにも関わらず憶えていないというのは時間を無駄にした感がある。別に後悔はしてないけど、憶えていたい気持ちはある。

 

自分が好きで何回も読んだ本はかなり憶えているから、やはり反復は必要になると感じた。数回読んだだけで、憶えている箇所は意外に増えているもので、読んで楽しい本、読まないといけない本は繰り返し読んだほうがいい。

 

人間は、基本的に頭に入れた情報はすぐに忘れてしまう。忘却曲線などが記憶術や読書術の本で出てくることがあるが、1日経つだけでかなりの部分を忘れてしまう。悲しいことだけど、反復というのはシンプルだけど結果が出やすい方法でもある。

 

反復という方法は受験では鉄板の方法で、1冊の参考書をくり返せという手法はよく言われているようだ。勉強術の本でも扱われていて、暗記したり理解する時に広く知られた方法とのこと。

 

とはいえ、全部反復しても時間がないので、取捨選択は必要である。仕事だと読むべき本が分かっているので、1冊を選びやすい。それを繰り返し読むだけでかなりの知識がつく。

 

じゃあ、それ以外の本はどうなのかというと、自分にとって必要そうな本を選んで読んでみるのがいい。ビジネス書でも、小説でも「これは楽しそう・役立ちそう」と感じたを手に取ってみる。1冊集中して読むだけでかなりの充実感があり、知識は付随してついてくる。

 

難しい本を読むときもそうだが、何度もくり返し読む事でかなり頭に残っていることが実感できる。達成感もさることながら、写真を見たように、あるページが頭に浮かんでくることもあったりして、かなり脳みそに叩き込まれてしまう。

 

反復読書はシンプルで行動のハードルが低く、即効性が高い。読書ノートを取ってもいいけど、飽きやすいし、時間も掛かってしまう。何回か読んでいると自然と理解できることもあったりするから割と便利。僕としては、1冊真剣に読む本は、何十回も反復して読むべきだと思うけど、気楽に読むなら2回で十分だと思う。

 

 

7回読みという読書法があったけど、これをマネしてもいい。専門書向けのやり方だと思うけど、小説でも3回読むと、多角的に分析できて面白い。小説ってキャラクターの追体験をできるのが強味だけど、そこから仕事のヒントもあって中々に参考になる。

専門書みたいな難しい本を数時間で読むには

大学に通っていたときには、専門書をたくさん読んでいた。レポートを仕上げないといけないので、参考書、演習書などを片っ端から読んで勉強していた。過去問があるからそれほど勉強しないでいいじゃないかと思うかもしれないけど、数学とか物理は自分で理解しないと、必須でも単位を落とす可能性があったから割と必死だった。

 

人生で読める本の数は決まっている。1日1冊だとしても、1年で365冊しか読めない。20歳から80歳読めるとすると、60年で約21000冊ぐらいである。±10年読んだ年数が違うとしても、7000冊程度の差になる。一年間で約70000冊の新刊が出ているので、世の中のすべての本を読むのは不可能だ。

 

1年に約75,000冊の本が発売!あなたは何冊読んでる?! | 速読情報館|速読に関するあらゆる情報をお届けします


だから、読む本を絞るという行為に行きつくわけなのだけど、それが難しい。学校の教科書として読むのなら必須の読書になるので問題ないが、自分で選ぶとなるとどうしても外れの本が出てきてしまう。前提知識がないから、選んだ本が外れという可能性はどうしても出てきてしまうのだ。他人のオススメ本を参考にしたとしても、知識量が違うわけだから、読んでみないと自分に合っているか分からない。

 

とすると、早く読んで、必要か不必要かを判断するしかない。自然と速読になるのだけど、読んだことのない分野の本だと、速読しても理解するのは非常に難しい。知識不足から間違った解釈をしてしまうこともある。

 

 

学生時代がそうだったのだけど、レポートや小テストが近くなると、専門書を速く読む必要が出てくる。期限が決まっているし、担当教授から唐突にレポートが出るなんてことはざらだ。そんな時には、素早く行動し、いかに効率的に知識を吸収するべきかが問題になってくる。

 

一番の方法は、知識がある人に聞く事だ。直接知人に聞くのもいいけど、コミュニケーションが必要になってくるし、そーゆー人は人気が高いので、中々じっくり話を聞くのは難しいこともある。そこで、図書館や本屋を活用する。レポートで何が問題になっているかを確認して、大量の本から必要な知識をピックアップするのだ。

 

僕が大学の時だと、

ニュートンの粘性法則を適用して薄板に働く粘性応力を求めなさい」

みたないレポートが出てくる(実際にはもっと捻った問題が出てくる)が、それが載っている本を探し、その部分だけを読んで理解して、レポートを書く。

 

大抵の場合、本1冊読むことは少なくて、一部を読むだけでいい。もちろん、研究となるともっと幅広く読む必要が出てくるが、それは上記の技を活用して読み進めればいいだけのこと。

 

結局のところ、難しい本を読むには、それになりのプレッシャーがないと読めないと思う。大学のレポートと仕事での必須業務とかで使うための、そのような本を読む。その時に、必要なところをピックアップする方法が僕は最適だと思っているし、それを応用すれば、幅広い範囲が学べることができる。

 

たとえば、

  • 一つの問題の解決法=知識をピックアップ法
  • 多数の問題の解決法=ピックアップ法を重ねる手法

みたいな感じだ。

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

  • 作者:デカルト
  • 発売日: 1997/07/16
  • メディア: 文庫
 

 

元大手企業社長とか元官僚の人が著者の本などで、古典は大事という記述があるんだけど、読んでいると、危機や問題に当たったときに、古典を読み解くことで解決法が浮かんだということが書かれてある。要するに、何か自分にとってクリティカルな問題が発生しないと、中々難解な本を読んで理解するのは難しいのではないかと思ったりもする。

簡単な本を読むなというのは傲慢では

本を読んでいると、「読みやすい本」が増えているなあという実感がある。小説とライトノベルとの中間みたいな作品が増えて、本を普段読まない人でも読みやすそうな作品が平積みされていることが多い。

 

娯楽が非常に多い世の中で読書という行為は中々にハードルが高い。活字を読むことに慣れていないと、途中で飽きてしまう。子供の頃も僕がまさにこの傾向が顕著だった。活字を読むきっかけになったのは、大学の勉強の気晴らしに読んだミステリが思いの他面白かったから。

 

実際に読書好きだとしても、仕事をしているとストレス発散の手段として読書を嗜むことになる。それは、感情移入できる物語を読むことになるので、難解な作品は読むのはしんどくなっていく。現代の本というのは、娯楽の側面が強いために、売れるのは自然とベストセラーになっていく。

 

専門書や古典などの難しい本(ほぼ活字ばかりの本)を読んでいると、理解するのに時間が掛かる。大学生の頃には、数学とか物理の専門書を読んでいたけど、2ページを理解するのに10時間ぐらいかけても理解できなかった。大学のレポートのために真剣に読んでいたけど、本当に理解できない部分が多かった。問題は解けるけど、本質が分からない、そーゆー状況だった。ただ、何年か経つとそれが不意に頭に浮かんで、理解できるようになってきた。様々な勉強をしていたおかげで、脳みその中で知識が繋がっていったのだ。

 

読み難い本は、理解するのに時間が掛かる。それこそ数年単位だ。そうなると、売るのは難しい。出生や単位取得などのプレッシャーのかかった状況でないと読もうとする気にもならない。ある程度の知識がないと理解できないから、つまらないという印象になってしまう。

 

本をしては、次のように分類できて、

  1. 娯楽として楽しむための本
  2. 知識吸収するための本
  3. 思考力を高める本

となるんだけど、知識が増えると難しい本も楽しめることになるので、互いに関連している。知識が増えて、読めなかった本が読めるようになる経験があると違うのだけど、中々そこまで読書を続けることは難しいから、結局、読みやすい本が売れているのだと思う。

 

読書の価値 (NHK出版新書 547)

読書の価値 (NHK出版新書 547)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 新書
 

 

別に読みやすい本を読むなということではない。僕もライトノベル風の小説を何冊も読むし、読んで楽しい。ビジネス書も同意できたり、突っ込みがある部分があったりして、これも読んでいて楽しい。ただ、専門書なども「歯ごたえあるなあ」と思いながら、あれこれ考えながら読めるので非常に楽しい。

 

読書自体は楽しいのだけど、それは学生の頃から、徐々に段階を踏んで本を読んできたからこそ言えるわけで、読みやすい本を読むなと言っても、それは傲慢かもしれない。